愛すべき知床の渓(魚道の効果)
「知床」の範囲を町名で示せば、羅臼町と斜里町になるのだと思いますが、ここでは、忠類川以北の根室海峡側の渓流を取り上げ
います。
道東にはたくさんの川がありますが、例えば釧路川や別寒別牛川、西別川などを渓流と呼ぶには、少し抵抗を感じます。丹沢で釣り
を覚えた私にとって、渓流とは、相当の落差をもって谷筋を流れるもの、という固定観念があるせいでしょう。そんな私にも、「知床の渓」
は立派な渓に見えます。
そして、これまた私の勝手な解釈ですが、渓流にもっとも似合う魚が「ヤマメ」だと思います。(北海道では「ヤマベ」と呼ばれますが、
その姿から、やはり山女魚(ヤマメ)が相応しいです)
そして、こちらに来てからの知床の渓での釣りは、嬉しい驚きの連続です。
昨年(2013年)、友人二人と入った渓です
古い釣りのガイドブックを頼りに入った渓ですが、車から少し歩いたところでガッカリしました。これです。
真新しい、巨大な堰堤
こんなのが出来てしまったのでは、もうヤマメはいないと思いました。
北海道のヤマメには、本州以南のヤマメとの決定的な違いがあります。本州のヤマメは言わば陸封型のヤマメで、滝の上
でも、堰堤でズタズタにされた渓でも、その残された空間で子孫を残し、生き続けることができます。私の感覚では、堰堤と
堰堤の間が100メートルもあれば、世代交代できると思います。
しかし、北海道のヤマメは降海型です。海と繋がっていなければ、正確にいえば、海からサクラマスが上ってこられなければ、
子孫を残すことが出来ずに全滅してしまいます。
実は私も、このことを長い間納得することが出来ませんでした。北海道のヤマメといっても、本州以南のヤマメと見た目で
区別することは出来ないと思います。どこからどう見ても、同じ魚にしか見えません。でも、ダムや堰堤の上にヤマメがいない
こともまた事実なのです。
これは私の想像ですが、むしろ本州以南のヤマメが、陸封に耐えることを後天的に会得したのではないでしょうか。
例えば丹沢のヤマメですが、関東大震災の影響で一旦壊滅し、その後、ある養魚場で生き残ったヤマメを少しづつ放流して
復活したと言われています。今でも、場所によっては成魚放流が継続して行われていますし、それとは別の形で、源流域への
発眼卵放流もあります。釣り人が、滝の下で釣ったヤマメを滝の上に運ぶという行為も、たくさん行われます。
こうしたことが繰り返されていった結果、ヤマメは陸封に耐えるようになったのではないかと考えています。
そして北海道のヤマメは、今でもそうした能力を持てずにいる、ということではないでしょうか。
さて、冒頭の写真ですが、これは堰堤上の流れです。オショロコマなら釣れるだろうとやってみると、これが意外にも、ヤマメの
宝庫のような渓でした。
巨大堰堤上のヤマメ
三人でいくら釣ったか覚えていませんが、八畳間ぐらいの溜りで10尾も釣れるという状態でした。なぜでしょう。
答えはこれだと思います
素晴らしく立派な魚道です
この魚道、2014年に見たときは、サクラマスが上っていくのを確認できました。とてもよく考えられた魚道です。
ちなみにこの渓、その後堰堤上には行っていません。というもの、無茶苦茶に熊っぽいのです。三人で入った時も、こんなの
を発見し、慌てて逃げ帰りました。
新しい熊の寝床です。
下の写真の渓は、波打ち際でオショロコマが釣れるところです。2014年の6月、オショロコマの顔を見ようと波打ち際に出かけた
ところ、黒いライズと白いライズのあるのに気がつきました。釣ってみると、黒いのがオショロコマで、白いのがなんと、ヤマメ。
ここでヤマメを釣ったのは初めてでした。
海からすぐのところに堰堤があって、オショロコマしかいない渓でした
ここにも立派な魚道が整備され
堰堤の上に、ヤマメがいました
もちろんオショロコマもたくさんいますが、少し大きくなったような?
魚道の効果は目を見張るものがあります。この魚道の整備、どうやら自然遺産登録のおかげのようですね。
最近、よく目にする看板です。頑張れ環境省!
もちろん知床には、もともと堰堤が(ほとんど)存在しない、素敵な渓もたくさんあります。
石化けでヤマメを狙っています
やはり晴れた日がいいですね
そしてもう一つ、知床の渓の凄さを実感するのがこれ。カラフトマスの大量遡上です。